「雄勝」という名の町がある。

平成の大合併(2005年)により石巻市の一部になった町で、東日本大震災では甚大な津波被害を受けた。そのため、2012年12月に平地の大部分が災害危険区域に指定され、建築制限がかけられた。町の面積の8割以上が山林で、平地が少ないことから、住まうための場所が大幅に減少することになってしまった。当時、防潮堤建設・高台移転が町の大きな議題になったことは、いうまでもない。

その後、やむを得ず町を出た人、町に残った人、これから去る人、戻ってくる人、新たにやって来る人...。みんなそれぞれの事情で、それぞれの道を歩んだ。

私は、震災後、さまざまな人とさまざまなシーンで協働してきた。うまくいくこと、うまくいかずに反省すること、その都度、必死に取り組んできた。その結果、行政や企業、NPOなどの団体の良し悪しではなく、そこに所属している人の志が大きく影響すると思うようになった。
そこで、過去3年間、雄勝の人と志のある人のネットワークの構築を目指して、「みやぎボイス」でテーブルの企画者を担当してきた。

1回目は、「雄勝・牡鹿・北上における地域の主体のあり方」というテーブルテーマで、石巻市の半島部3地区(雄勝町、牡鹿町、北上町)をクローズアップし、地域の主体について議論した。同じ半島部にも関わらず、意外と地区間の交流が少ないことが分かり、町の成り立ち・立地や生業の違い、鳥獣害対策など、半島部ならではの事柄が情報共有された。また、その地域の主体、住民自治が復興の基盤になっていることも再確認された。

2回目は、人口規模に合わせた継続可能な町のあり方、生業を考えるために、「民官連携とマチの生業づくり」というテーマを設定した。石巻市の中心部、雄勝町、早い段階で中心部の復興を実現した女川町という登壇者で、人口が減っていく中で顕著になってくる課題について議論した。地場産業の継続、後継者問題、交流人口から定住人口へ、福祉や教育など、多岐にわたる問題を話し合った。その中で、民間と官公庁が協働することにより、個々では難しい取り組みが実現可能になることも示された。

3回目は、よりキャッチーなテーマ「みんなの地元愛」を若い世代のテーブルで考えた。仙台の中心部で活躍する人と、雄勝に関わりのある人でテーブルを囲み、雄勝が外からどう見えるのかという点など、屈託のない意見交換を行った。東北の中心部と石巻市の半島部から、地元愛のカタチを探り、これから先のことをみんなで討論した。10代の登壇者が、雄勝で暮らしていく決意を語るなど、活気のあるボイスが飛び交った。

3回のみやぎボイスでの一番の成果は、「登壇者同士も連絡を取り合う」という動きが生まれたことだ。みやぎボイスは、多様なジャンルの人が集い、同列で意見しあう場であることから、得られるネットワークも普段の活動の範囲を大きく超えてくる。このネットワークが、これからの活動の課題解決力につながっていくことを願っている。

雄勝では、防潮堤建設・高台移転などの賛否から生まれた溝が、事あるごとに表出してくるように感じられる。これを何とかしたい、震災後、ずっと抱いてきた思いだ。これからも”小さなきっかけ”をたくさん作っていきたいと思う。

最後に、3回にわたってファシリテーターを務めてくださった千葉大学の秋田先生と、登壇者の方々に感謝の意を表して結びとしたい。